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Posted by TI-DA at

2006年02月28日

議員を辞めるの?役職を辞めるの?どっち?

「ホリエンモンの送金指示メール問題」で、ガセネタをつかまされた民主党。
辞めると言った3人のうち、野田佳彦国対委員長だけが辞任するのは、人相が悪いからかと下衆の勘ぐり。
ん?国会対策委員長を辞任するのであって、議員辞職ではないのかな?ま、どうでもいいけど。

揚げ足を取ったつもりが勇み足 政策で争え政策で!  百紫苑(hakushon)

もうすぐ大相撲春場所ですね。頑張れ、栃東!  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 17:25Comments(0)独言

2006年02月28日

夜は雨かぁ…

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 14:40Comments(0)定点観測

2006年02月27日

命短し 恋せよ乙女

母の七七忌法要があった先週木曜日から、父がよく歌を口ずさんでいる。
耳を澄ますと、呟くように口ずさんでいるのは「♪命短し 恋せよ乙女」だった。曲名は知らない。
父は酔っ払うと陽気になって、蛮声張り上げてわけのわからない歌を歌うが、しらふで歌うのは本当に珍しい。
黒澤明の「生きる」で志村喬がブランコを漕ぎながら歌っているのが「♪命短し 恋せよ乙女」だ。
志村喬が演じたのは癌で余命短い役だったなと、縁起でもないことをついつい考えてしまう。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 23:32Comments(2)独言

2006年02月25日

ティボリ

 プラザハウス横のティボリでニュージーランド5つ星テンダーロインステーキ(サーロインだったかも…。スープ、サラダ、パン、デザート、コーヒー付で3,900円。希望者には更にライスが付きます)を食べた。うまかった。アメリカから牛肉が輸入されなくても、ちっとも困らないな。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 22:25Comments(0)ぶらぶら

2006年02月24日

四十九日

 昨日、母の四十九日法要を無事に終えた。母はこれで正式にあの世のメンバーになったらしいのだが、その死があまりにも突然だったので、なかなか実感が湧いてこない。
 何も言わずに逝くなんてひどいじゃないかと自分勝手なことを考えたりもするが、これはきっと親不孝のしっぺ返しだなと納得するしかない。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 11:41Comments(0)独言

2006年02月22日

愛猫チャンイ;猫の日

今日は猫の日だってさ。

「………」

何でかわかる?

「………」

222でニャンニャンニャンだって、ぷぷぷ。

「………」

………おまえはホントに無口だな。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 09:38Comments(2)二代目チャンイ

2006年02月21日

知花花織

 知花花織は復元に成功したが、産業として根づかず、技能を習得した37人の内、今も継続して織機に向かっているのは、半分以下の17人だとNHK沖縄のローカルニュースでリポートされていた。
 読谷山花織は読谷村民の誇りとなっているが、1974年にコザと合併して沖縄市になってしまったから、旧美里村民の地元に対する情熱は薄れてしまったのだろうか。
 一緒にテレビを見ていた父によると、藤木勇人さんのお父様はかつて知花花織の復元に取り組まれていたそうだ。成功はされなかったようだが、夢を追う血は遺伝するものだなと思った。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 20:37Comments(2)独言

2006年02月20日

ウチナーの聖地

 昨日の琉球新報朝刊によると、昨年12月下旬、沖縄本島中部にある自称「障害者らの心の治療を目的として活動している」NPO法人が心の治療をして回復した人のお礼として「神の声に従って」久高島のフボー御嶽に無断で入り「いくつかある拝所の中で、みんなが拝む所はきれいだったが、あまり人が入らない所は草木が生い茂っていたため、きれいにした」つもりで、神木を約30本無断伐採したという。
 このNPO法人は1997年にも斎場御嶽一帯の樹木を伐採して、問題を巻き起こしているが、フボー御嶽の入口にあった立入禁止の看板には「気づかなかった」と言っているらしい。
 このNPO法人の信奉する神がウチナーの聖地を破壊せよと指令しているのなら、私は実力をもってこれを阻止するつもりだ。このNPO法人の名を明らかにしない琉球新報にも腹が立つ。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 19:17Comments(8)独言

2006年02月19日

パッチーの世界

 昨日、宜野湾市立博物館企画展示「パッチーの世界」を観に行った。
 明治時代からのパッチー(めんこ。私が小学生の時は「パッチ」呼んでいたので、以下それにならう)が何千枚と並べられている様に圧倒された。父と弟と一緒に行ったのだが、それぞれが子供の時に遊んだ絵柄のパッチを見つけては、しばし回想にふけった。
 パッチだけではなく、宜野湾を中心とした昔の写真や書籍雑誌の資料類も豊富で、見応えがあった。

  平成17年度 第2回宜野湾市立博物館企画展示「パッチーの世界」
  入場無料
  期  間:2006年2月12日(日)〜3月12日(日) 毎週火曜日は休館
  入館時間:09:00〜16:30
  場  所:宜野湾市立博物館 企画展示室(宜野湾市真志喜1-25-1)
  T E L :098-870-9317  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 12:09Comments(0)独言

2006年02月19日

ヤマトゥグチの琉歌

 今日の琉球新報朝刊にオキナワ第一日ボ学校(在ボリビア)8年生の琉歌が載っている。
  
  戦争のおきた 沖縄の島よ
   苦しみをこえて みんな笑顔
              島袋真也

  夜空光らせる 星屑が無数
   まるで浮かんでいる 島のようだ
              西銘ひとみ

  島のお祭りで 花火うちあげて
   夜空を見上げたら 星がきれい
              安里真奈
  
 私は琉歌を詠もうと何度か試みて、いつも失敗している。これはウチナーグチの語彙が乏しいせいだと諦めていたが、地球の裏側でヤマトゥグチの琉歌が詠まれていることを知って、目から鱗が落ちた。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 11:24Comments(0)独言

2006年02月18日

スノーボードクロス

 昨日、初めてスノーボードクロスを見たが、スリリングなレース展開が続き非常に面白かった。
 しかし、2番手と3番手の選手が転倒した時、断トツのビリだったため巻き込まれずに済み、その結果として準決勝進出を果たした日本代表選手がフィニッシュ後、拳を何度も突き上げたのは、誠に見苦しかった。
 メジャーリーグではホームランを打った選手が拳を突き上げようものなら、次の打席で報復としてビーンボールの洗礼を浴びる。大量リードしたチームの選手が盗塁を試みたら、観客からブーイングが湧き起こる。いずれも敵を侮辱した行為だと見なされるからだ。
 日本には武士道があり、西洋には(といっても、その範囲は曖昧だが)騎士道がある。勝者は驕るべからず。敗者への配慮を忘れてはならない。明らかに実力の劣る者が運のみで勝った場合は尚更だ。
 日本代表として国際大会に出場するのなら、これくらいの常識は備えていてほしい。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 21:13Comments(0)独言

2006年02月18日

愛猫チャンイ;寒いよ〜

早く部屋に戻ろうぜ。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 08:08Comments(2)二代目チャンイ

2006年02月17日

つかざん完熟カボチャ

 今日の琉球新報朝刊によると、「つかざん完熟カボチャ」の出荷が始まったらしい。つかざん完熟カボチャは他産地のカボチャとは別格扱いされるほど市場関係者の間では評価が高く、出荷すると買い手がすぐにつき、品がない状態が続くという。収穫時に13度前後の糖度が収穫後に追熟し、14〜20日経つと23度前後まで上がるそうだ。
 南風原のローカルヒーロー「カボッチャマン」ショウを何度か見たことがあるけれど、こんなに凄いヤツだとは思わなかった。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 19:01Comments(0)独言

2006年02月17日

六七日

 昨日、母の六七日のお墓参りを済ませて実家に行く途中、最後の支払をするために母がお世話になった病院へ寄った。
 請求書と釣銭不要の金額を窓口に出し、しばらく立ったままでいると「お掛けになってお待ち下さい」と職員に言われた。大きな病院ほど領収証発行などの事務処理に時間がかかるのは何故か。患者が多いからだと病院側は言いたいだろうが、事務方が無能だからだと言い返したい。客(患者)をいつも待たせているくせに、座って待てとすぐに指示できないのもそのせいだ。
 高い金を払ってコンピュータシステムを導入したのは、事務処理の迅速化を図るためではないのか。手書きの領収証を発行するよりも時間がかかるのならば、そんなシステムは捨ててしまえ、と心で呟きながらベンチに腰掛けた。
 きっと、どの病院に入っているシステムも自分達だけに都合好くできていて、客(患者)のことなど全く考えに入っていないのだろう。よくもまあ、客(患者)を待たせて平気な顔でいられるな。できるものなら客(患者)本位のシステムを開発したいものだ、とできもしないことを考えながらふと顔を上げると七段飾りの雛人形が目に入った。
 もうすぐ雛祭か。三人官女や五人囃子を見るのは久しぶりだった。実家にも七段飾りの雛人形や五月人形がある。雛祭やこどもの日が近づくと、首里からわざわざコザまで来て、嬉しそうに雛壇を組み立てていた祖父の顔が脳裡に浮かんだ。ムーチーを居間の壁いっぱいに吊してくれたのも祖父だった。
 祖父が亡くなった時、私はまだ幼稚園に入ったばかりで、木箱の中で寝ている祖父の側で何故父が泣いているのか理解できなかった。祖父が亡くなってからムーチーを壁に吊すことはなくなった。雛壇は我々兄弟に急かされた父が当日やっと組み立てたが、雛人形や五月人形は一旦飾られると、随分長い間飾られっぱなしになった。祖父が亡くなって4〜5年経つと、桃の節句も端午の節句も人形なしで祝うようになった。
 私がこんなにタンチャーなのは誰のせいでもないけれど、あの世で新入りの母は肩身の狭い思いをしているかも知れない。祖父はきっと困った顔をしているだろうなと、一度も見たことのない祖父のそんな顔を想像した。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 11:51Comments(0)独言

2006年02月17日

カーリングについてまだまだ考える

カーリングが五輪正式種目なら、ゲートボールやグラウンドゴルフもそうなる可能性があるな。
カーリングって、野球やソフトボールより競技人口が多いのだろうか?  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 00:38Comments(2)独言

2006年02月16日

トリノ五輪(カーリング、バイアスロン)

カーリングってスポーツなのか?レクレーションとしか思えないけれど…。
バイアスロンはいつごろから実弾を使わなくなったのだろう?黒い的に弾が命中してパッと砕ける瞬間が好きだったんだけど…。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 19:29Comments(0)独言

2006年02月15日

逆光だけど

嘉手納ロータリー内に最後まで残っていた建物が取壊し中。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 15:56Comments(0)ぶらぶら

2006年02月14日

バレンタインデイに浮かれない

 昨日の琉球新報夕刊によると、義理チョコは年々減っていているという。実に喜ばしいことだ。
 小学校5年生の頃からバレンタインデイの存在は知っていたが、それはませた女子の間で密やかに囁かれるだけで、私には無縁だった。色気づく中学高校時代は、男子校で寮生活を送っていたので、バレンタインデイどころか女子そのものと全く縁がなかった。
 初めて義理チョコをもらったのは大学1年の時だった。何故か2人きりの時に友人の彼女からチョコレートを差出され、ドギマギしつつ「もらえない」と断ると、「義理チョコだから気にしないでよ」と言われた。「ギリチョコ?…あぁ、義理チョコね…義理チョコか…」とバカみたいに呟いて受取ったことを憶えている。
 それから去年まで毎年義理チョコをもらっていたが、あまり嬉しくなかった。第一に義理用の安いチョコレートはあまりおいしくない。次に義理のくせにお返しを期待される。うんざりだ。「愛は惜しみなく与えるべきものだから、見返りを望んではいけない。蝦で鯛を釣ろうという魂胆があるのなら、これは愛ではなく商売だ」と時々説教じみたことを思わず口走っては、イヤな顔をされていた。
 今年は義理チョコが1個もない。心にもないお礼を言う必要がないから清々している。妻からのチョコレートも半ば義理だけど…。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 19:05Comments(0)独言

2006年02月14日

ジュウルクニチー

 無事に初のジュウルクニチーを終えた。と言っても、サンエーで買ってきたクヮッチーと餅を供えただけだが…。
 今年93歳になる大叔母が母のいとこに当たる娘さん2人に連れられて、弔問のため来訪された。大叔母の姉である母方の祖母は昭和3年3月に女学校を卒業し、その年の8月に結婚して翌年9月に母を出産した。祖母は沖縄で母を出産後、しばらくしてから東京で働いていた祖父の元へ母を連れて戻ったが、母だけはいろいろ訳あって3つの時に沖縄へ帰ってきた。
 大叔母は母が生まれた時にはまだ女学生でいらした。そして、結婚されるまでの約2年間、曾祖母と東京から帰ってきた母と3人で生活された。大叔母から母の話をいろいろ聞いた。東京から帰ってきた母は、しばらくカンプーを結っている曾祖母を怖がっていた。母は物怖じすることがなく、誰にでも話しかけた。当時の母は東京弁をしゃべっていた。
 大叔母とその2人の娘さんは母の遺影の前で3時間過ごされた。その途中、大叔母は何度も腰を上げかけられたが、その都度母の遺影に向かって「こんなに早く死んで、あんたはバカだね」と悪態をつかれ、「なんで死んでしまったの」と嘆かれた。他にも聞き取れないほどの小声でしきりに何かを母に語りかけていらした。
 母を取り上げた産婆さんを呼びに行かれたのは大叔母で、それは女学校の庭球大会を応援された帰りだったそうだ。唯一大叔母だけが母の生まれた直後の顔と死顔の両方を知ってらっしゃる。母は姉のように慕っていた人と離ればなれになってしまって、さぞかし寂しいだろうけど、大叔母を呼び寄せるのは、まだまだ先にしてほしい。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 00:20Comments(0)独言

2006年02月13日

善良な人は老けないのではないか?

 先週末は本土にいる兄と妹が沖縄へ帰ってきた。土曜日の昼は家族だけで、夜はお客様を迎えて会食した。
 夕食にお招きしたお客様は、母の本通夜の日に我々兄弟が「納骨前にお墓の掃除をしなければならないな」と話しているのを聞いて、「君たちは忙しいだろうから、お墓掃除は僕がするよ」と自ら買って出て下さった方とその奥様だ。その方は私が小学校4年生から5年生にかけての家庭教師で、大学を卒業されてからも何かと我が家のことを気にかけて下さっている。その方と我々家族に血縁関係はない。
 母の納骨のためお墓に行った時、あまりにもきれいに掃除されているので驚いた。お墓に下りていく道も掃き清められている。奥様も長靴を履いて掃除して下さったと聞いて恐縮した。二七日を除いて毎週木曜日にお墓に行っているが、未だにほとんど草が生えない。お2人で草の根を1本1本抜き取って下さったのだろう。我々家族が掃除する時でも、そこまではしない。お墓へ行くたびに感謝の念が強くなる。
 食事をしながら昔話に花が咲いた。どのような経緯で我々兄弟の家庭教師をするようになったのですか、とその方にお訊きしたら「うーん、僕も忘れてしまったんだよね。何でだったかな」と首を傾げられた。かつて長髪でベルボトムのジーンズにスタジアムジャンパー姿の大学生は、白髪としわが少し増えただけで、30年以上経っても当時とほとんど変わらない。私が小学校6年生の時に初めてお会いした奥様は全然変わらない。
 一瞬、日本復帰直後のコザに戻ってきたような錯覚に陥った。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 11:54Comments(0)独言