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Posted by TI-DA at

2006年06月30日

「よーんなー沖縄」は

 「続よーんなー沖縄」へと続きます。今後とも宜しくお願いします。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 23:59Comments(4)独言

2006年06月30日

北農牛と呼べ!北農牛と!!

 北部農林高校の生徒が育て県外に出荷された牛の肉は過去2回、最高ランクに格付けされたことがあるという。こないだの日曜日、その肉牛を県内在住の料理人が買い取り県内に流通させるという話をテレビで見ていて「えぇ、話や〜」と思ったのも束の間、この肉に料理人の名を冠すると聞いて一気に白けてしまった。

 梅干しのブランドになっている「南高梅」は、その元になった梅の改良に尽力した和歌山県立南部(みなべ)高校の略称「南高」に由来していると聞いたことがある。生産者に敬意を表する者ならば、この肉に自らの名を冠さず「北農牛」と命名したのではないか。北部農林高校関係者がそれでいいというのなら仕方がないけれど、私はこの肉が「北農牛」もしくは、ひと目で北部農林高校が生産者だとわかるような名前に改称されるまで決して食べないことをご先祖に誓った。たとえ、目の前でジュージュー焼かれようとも!  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 18:51Comments(2)独言

2006年06月30日

47年前の今日、

 アメリカ空軍のF100ジェット戦闘機が宮森小学校に墜落・炎上した。うるま市立石川歴史民俗資料館に、この悲惨な事故を伝える新聞記事や写真などを展示した一角がある。その中でも、現場にいた担任教師の手記は淡々とした筆致で書かれているが、胸をえぐられるほど生々しい。現場となった教室から犠牲になった教え子を運び出し、外へ出て助けを求めるが、パニック状態に陥った人々から相手にされず、何度も校舎を出たり入ったりする部分は、読んでいて涙を禁じ得ない。

 この事故で亡くなった17人の内11人、負傷者210人の内156人は宮森小学校の児童だ。戦争を生き延びた人々の希望でもあっただろう子供達の冥福を特に祈る。
   

Posted by 百紫苑(hakushon) at 17:21Comments(2)独言

2006年06月29日

続よーんなー沖縄

 この「よーんなー沖縄」は明日、切りのいい6月いっぱいをもって終了。7月から「続よーんなー沖縄」に引き継ぐべく新規ブログの作成をしたが、お気に入りやら何やら改めて入力しなくちゃいけないので、非常に面倒くさい(私が簡単な方法を知らないだけか?)。

 しかし、100MBが1年足らずでほぼ満杯になるとは思わなかった。何よりも、こんなに続くとは我ながらビックリ!すぐに飽きるだろうと思っていたのに………。

 まだ、まっさらな状態の「続」を早速覗いて下さった皆さん、有難うございます。さぞかしガッカリされたことでしょう…申訳ございません。とりあえず「続」を非公開にしました。これからも宜しくお願いします。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 16:48Comments(4)独言

2006年06月28日

様式?

…洋式か。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 09:28Comments(0)独言

2006年06月27日

カリスマ美容医師

こわい…自作?

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 18:53Comments(2)独言

2006年06月27日

双子のさくらんぼ


 新たに1組発見。双子が4組になった。


 解剖結果…最後に発見した双子は種が1つだけだったが、残りの3組は2個ずつ種が入っていた。但し、その内1つは空洞で、ろくに研いでいない包丁で簡単に切れた。

 反省…もうちょっときれいに解剖したかった。次回チャンスがあれば、安全剃刀で切開しよう。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 16:14Comments(0)独言

2006年06月27日

うないFC準優勝

決勝戦での0-13って…。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 09:57Comments(0)独言

2006年06月26日

羊頭猫肉

 子供の頃「猫肉は喘息に効く」と聞いたことがあるが、実際のところ、どうなんだろう?

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 10:55Comments(2)独言

2006年06月25日

今年初メロン

まだちょっと早かった。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 20:40Comments(2)独言

2006年06月25日

今年初スイカ

今帰仁産はうまいの〜。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 13:28Comments(2)独言

2006年06月24日

双子が3組

実家からお裾分けしてもらったさくらんぼを袋から出していたら………双子を発見!しかも3組!!
種が2つずつ入っているかどうかは、冷やしてから確認しよう。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 20:56Comments(2)独言

2006年06月24日

さくらんぼ

お中元でいただいた。山形産だが、佐藤錦ではないらしい。
傷だらけだが、おいしい。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 20:08Comments(4)独言

2006年06月23日

県産マンゴー出荷予想

琉球新報朝刊によると、今年度の県産マンゴー出荷予想は、沖縄県全体では平年並み、宮古だけだと平年比29%減の215tになる見込みだという。
去年は不作で1度しか口に入らなかった宮古産マンゴー。今年は何回味わえるかな。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 22:16Comments(2)独言

2006年06月23日

慰霊の日

 母は1945年3月、東京から既に北陸へ疎開していた祖父母や叔父叔母の元へと向かうため、最後の疎開船に曾祖母と2人で乗り込んだ。当時、母は沖縄県立第一高等女学校の3年生だった。「最後の疎開船」でネット検索すると「最後の疎開船が1945年3月22日に撃沈された」という記事が出てくるから、母と曾祖母が乗り込んだ船は撃沈された船と同じ船団だったのだろう。その船が撃沈された海域はよくわかならいが、沖縄と鹿児島の間と考えて、まず間違いない。だとすれば、母が沖縄を離れたのは3月下旬の可能性が高い。

 沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名、生徒222名)が「ひめゆり学徒隊」として召集され、南風原陸軍病院に看護要員として従軍したのは、1945年3月24日だ。もし、アメリカ軍の攻撃が激しくなったため、結果として「最後」の疎開船となった船に母が乗り込んでいなければ、ひめゆり学徒隊は「女子生徒及び職員総計241名(教師18名、生徒223名)」になっていただろう。

 去年は退院して間もなかったので欠席したが、母はおととしまで、ひめゆりの塔慰霊祭に毎年出席していた。母は戦中戦後の生活について、具体的な話をほとんどしなかったが、何度か「私は沖縄から逃げた組だからね」と話すのを耳にしたことがある。沖縄戦で多くの親戚、友人、知人を失った母は自分が生き延びたことに引け目を感じているようだった。生死を分けたのは、たった数日の差でしかなかっただろうから、その念は尚更強まったに違いない。

 自分が生きていることに対して罪悪感を覚えた時、母はどのようにしてそれを紛らわせていたのだろうか。ひめゆりの塔の前で毎年、かつての友に謝っていたのだろうか。母亡き今となっては知る由もない。

 「いはまくら かたくもあらむ やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは」(仲宗根政善)  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 18:12Comments(2)独言

2006年06月23日

●日本1-4○ブラジル

ブラジルは後半、ゴールキーパーも替えた。
随分なめられたものだ。
  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 05:50Comments(4)独言

2006年06月21日

この日射しで

船もとけそう。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 17:11Comments(0)独言

2006年06月21日

本日15:49現在

ユニークユーザーが332…俺、何かした?

原因がさっぱりわからない。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 15:52Comments(0)独言

2006年06月16日

知念城跡

 大雨で知念城跡の石垣が崩れたと琉球新報夕刊の写真で見てヒヤリとしたが、崩れたのは復元した部分だと記事で読んで、少し安心。

 しかし、石垣を復元した業者は変なーだはずな。  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 20:22Comments(0)独言

2006年06月15日

今日も大雨で

土砂流出。

  

Posted by 百紫苑(hakushon) at 19:12Comments(2)独言