2005年10月19日
オッサン2人でドライブもまた楽し(10/18)
宜野湾人が何やら話を聞いてほしいというので、野嵩の豪邸に向かう。
12:00過ぎに到着して、私が韓国旅行の話をしていたら、友人が「あい、キムチが食べたくなってきた」と言うので、宮古そば愛に寄ってから具志川のキムチハウス春明へ行くことにした。
「この前カミさんと愛に行ったら、営業時間過ぎてて入れんかった」と私が言うと「今日が定休日だったら、踏んだり蹴ったりだな」と宜野湾人。12:40頃到着し、駐車場から店に入ろうとしたら、宮古そば愛の敷地内で昼寝していた工事現場のニィニィが上体を起こして「今日は休みだはず」と言う。「はっ!?」と顔を上げると「火曜日定休」の札が下がっている。図らずも「悪い予感は当たるやっさー」とハモってしまい、近くで寝ていた他のオトウやニィニィからも笑いを取った。
ニィニィに礼を言って具志川へ向かう。車内で何度か「話って何か?」と訊くが「あぁ、うぅん」とはっきりしない。「仕事か?家庭か?」と重ねて訊くと「どちらかと言えば家庭かな」。宜野湾人は自営業なので、家庭の悩みが仕事のそれに直結するらしい。




13:10キムチハウス春明に到着。食料品だけではなく、衣料品や雑貨もある。友人はイイダコキムチ、島らっきょうキムチ、チャンジャ(鱈の内臓キムチ)を買い、私は島らっきょうキムチ、チャンジャ、そして「大長今冷麺」を買う。冷麺は今まで1度しか食べたことがなく、あまり好きではないが、これを買わずにいらりょうか?
13:20春明を出る。「昼飯どうするか?」と宜野湾人。「ニューヨークレストランに行くか?」「定休日じゃないよな」「大丈夫。あそこは月曜定休」「なんで、わかる?」「最近、月曜日にカミさんと行ったら定休日だった」「まさかひゃ。イャーはよく定休日に当たるな」「だからよ。去年の夏だったかな、カミさんと那覇からわざわざ朝日レストランまで行った時も定休日だった」「はっ?朝日レストランて、名護のな?」「うん」。これが宜野湾人のツボにはまったようで、助手席で身をよじらせて笑っている。「イッターミートゥンダぬウムサよ。それで、どうした?」と息を切らして訊く。「………覚えてない。夜だったし、名護のステーキ屋は他に知らんから、高速に乗って那覇まで帰ってきたはず」。友人はしばらく「息ができん、息ができん」と悶えいていた。

13:45ニューヨークレストラン到着。私はBランチ(840円)、海老フライ好きの宜野湾人はAランチとサラダ(L)を注文。ここの豚カツはいつ食べてもうまい。しかし、スープはついていたが、アイスティーはついていなかった。つかなくなったのはいつ頃からだろうか?
食事を終えて「これからどうする?」と友人に訊くと「この辺にコザの資料館みたいのができているだろ?あそこに行こう」。お店の人に道を尋ねたら、わざわざ外に出て説明して下さった。「あそこに青い車が見えるでしょ?あの2つ先の道を右に曲がったらあります」「郵便ポストがあるところですか?」「うぅん。その1つ先です」「根路銘スポーツに行くところ?」「右に曲がったら道が二股になっています。左に行ったら根路銘スポーツ、ヒストリートは右側の道沿いにあります」「あー、昔ダンパチャーがあった辺りでしょ?」「あの辺にダンパチャーがあったんですか?」「うん。24号線から1本入った道ですよね?」「24号線?」「あ…330号線」「そうです、そうです」。ネェネェに礼を言ってセンター通り(現中央パークアベニュー)を歩き始めた。


「24号線って通じなかったな」「えー、復帰してから30年以上経ってるのに、通じるかー……あいっ!あれなんか?」。Tシャツが30円、50円、100円で売られている。「客がいないからヤケクソになってるんかなー」と宜野湾人が呟く。

沖縄市戦後文化資料展示室「ヒストリート」は狭いスペースながらも懐かしい写真やグッズが満載で面白いし、持ち帰り自由の資料が豊富だ。コザに関する蔵書も数多く揃えられていて、それらを閲覧するための椅子もある。しかし、月曜日、年末年始の他に公休日(祝祭日)が休みなのは、ただただ残念。運営を民間に任せることはできないのだろうか?
16:05野嵩の豪邸に戻る。奥さんが子供達の迎えに出ていなかったので、やっと友人が本格的に悩みを打ち明ける。なるほど、なるほど。適切なアドバイスはできないが、話を聞いてあげることはできる。思えば、この友人とは1973年から付き合っている。そして最初に交わした会話をお互いに憶えている。なるほど、なるほど。2人ともブクブク太って、頭も薄くなったが、変わらぬものは変わらない。
12:00過ぎに到着して、私が韓国旅行の話をしていたら、友人が「あい、キムチが食べたくなってきた」と言うので、宮古そば愛に寄ってから具志川のキムチハウス春明へ行くことにした。
「この前カミさんと愛に行ったら、営業時間過ぎてて入れんかった」と私が言うと「今日が定休日だったら、踏んだり蹴ったりだな」と宜野湾人。12:40頃到着し、駐車場から店に入ろうとしたら、宮古そば愛の敷地内で昼寝していた工事現場のニィニィが上体を起こして「今日は休みだはず」と言う。「はっ!?」と顔を上げると「火曜日定休」の札が下がっている。図らずも「悪い予感は当たるやっさー」とハモってしまい、近くで寝ていた他のオトウやニィニィからも笑いを取った。
ニィニィに礼を言って具志川へ向かう。車内で何度か「話って何か?」と訊くが「あぁ、うぅん」とはっきりしない。「仕事か?家庭か?」と重ねて訊くと「どちらかと言えば家庭かな」。宜野湾人は自営業なので、家庭の悩みが仕事のそれに直結するらしい。
13:10キムチハウス春明に到着。食料品だけではなく、衣料品や雑貨もある。友人はイイダコキムチ、島らっきょうキムチ、チャンジャ(鱈の内臓キムチ)を買い、私は島らっきょうキムチ、チャンジャ、そして「大長今冷麺」を買う。冷麺は今まで1度しか食べたことがなく、あまり好きではないが、これを買わずにいらりょうか?
13:20春明を出る。「昼飯どうするか?」と宜野湾人。「ニューヨークレストランに行くか?」「定休日じゃないよな」「大丈夫。あそこは月曜定休」「なんで、わかる?」「最近、月曜日にカミさんと行ったら定休日だった」「まさかひゃ。イャーはよく定休日に当たるな」「だからよ。去年の夏だったかな、カミさんと那覇からわざわざ朝日レストランまで行った時も定休日だった」「はっ?朝日レストランて、名護のな?」「うん」。これが宜野湾人のツボにはまったようで、助手席で身をよじらせて笑っている。「イッターミートゥンダぬウムサよ。それで、どうした?」と息を切らして訊く。「………覚えてない。夜だったし、名護のステーキ屋は他に知らんから、高速に乗って那覇まで帰ってきたはず」。友人はしばらく「息ができん、息ができん」と悶えいていた。
13:45ニューヨークレストラン到着。私はBランチ(840円)、海老フライ好きの宜野湾人はAランチとサラダ(L)を注文。ここの豚カツはいつ食べてもうまい。しかし、スープはついていたが、アイスティーはついていなかった。つかなくなったのはいつ頃からだろうか?
食事を終えて「これからどうする?」と友人に訊くと「この辺にコザの資料館みたいのができているだろ?あそこに行こう」。お店の人に道を尋ねたら、わざわざ外に出て説明して下さった。「あそこに青い車が見えるでしょ?あの2つ先の道を右に曲がったらあります」「郵便ポストがあるところですか?」「うぅん。その1つ先です」「根路銘スポーツに行くところ?」「右に曲がったら道が二股になっています。左に行ったら根路銘スポーツ、ヒストリートは右側の道沿いにあります」「あー、昔ダンパチャーがあった辺りでしょ?」「あの辺にダンパチャーがあったんですか?」「うん。24号線から1本入った道ですよね?」「24号線?」「あ…330号線」「そうです、そうです」。ネェネェに礼を言ってセンター通り(現中央パークアベニュー)を歩き始めた。
「24号線って通じなかったな」「えー、復帰してから30年以上経ってるのに、通じるかー……あいっ!あれなんか?」。Tシャツが30円、50円、100円で売られている。「客がいないからヤケクソになってるんかなー」と宜野湾人が呟く。
沖縄市戦後文化資料展示室「ヒストリート」は狭いスペースながらも懐かしい写真やグッズが満載で面白いし、持ち帰り自由の資料が豊富だ。コザに関する蔵書も数多く揃えられていて、それらを閲覧するための椅子もある。しかし、月曜日、年末年始の他に公休日(祝祭日)が休みなのは、ただただ残念。運営を民間に任せることはできないのだろうか?
16:05野嵩の豪邸に戻る。奥さんが子供達の迎えに出ていなかったので、やっと友人が本格的に悩みを打ち明ける。なるほど、なるほど。適切なアドバイスはできないが、話を聞いてあげることはできる。思えば、この友人とは1973年から付き合っている。そして最初に交わした会話をお互いに憶えている。なるほど、なるほど。2人ともブクブク太って、頭も薄くなったが、変わらぬものは変わらない。
Posted by 百紫苑(hakushon) at 12:24│Comments(0)
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