2006年04月05日
ウシーミー
今日は二十四節気のひとつ清明で、沖縄ではお墓でご先祖と食事を共にするウシーミーの日だ。今は清明後の土曜日か日曜日にウシーミーをする家が殆どだが、母の実家では頑なに清明の日にお墓参りをしている。というか正確には、母の実家はトートーメーが本土にあって、当主である叔父が清明に合わせて沖縄に来られないので、おととしまでは母が代理で清明の日に必ずお墓参りをしていた。
去年は叔父が清明前の土日を利用して来沖したため、母はかなり腹を立て、叔父より先にお墓参りをするのだと意地になったようだ。それで生憎の大雨の中、姉が母をお墓のある首里大名町まで連れて行ったのだが、脚の悪い母は結局お墓まで行けず、その近くの道路に停めた車の中で姉がお参りから戻ってくるのを待っていたそうだ。線香に火をつけるのにも苦労するほどの雨の中、何とか無事にお参りを済ませて戻ってきた姉に、母は「ウシーミーの日以外にお墓参りをするのはイヤだ。これからはこういうことがないようにしたい」と何度も何度も繰り返していたという。戦中と敗戦直後は仕方ないけれど、母は長年続いてきた実家の習慣を自ら破ったことで、心を痛めていたのだろう。
去年のことは今日の午後姉から初めて聞いたのだが、清明の日にお墓参りをするという母のこだわりを知っていたので、私はその遺志を継いで今日の午前中、母の実家のお墓参りをしてきた。小さい頃から何度も来たことのあるお墓だが、1人で来るのは初めてだった。手向けた線香が燃え尽きるまでに聞こえてきたのは、木々を揺らす風の音と近くのお墓を掃除する音だけで、あれこれと指示を出す母の声は聞こえなかった。
「悲しみを新たにする」という表現は陳腐で大嫌いだが、なるほど悲しみは新たになるものだなと実感した。
去年は叔父が清明前の土日を利用して来沖したため、母はかなり腹を立て、叔父より先にお墓参りをするのだと意地になったようだ。それで生憎の大雨の中、姉が母をお墓のある首里大名町まで連れて行ったのだが、脚の悪い母は結局お墓まで行けず、その近くの道路に停めた車の中で姉がお参りから戻ってくるのを待っていたそうだ。線香に火をつけるのにも苦労するほどの雨の中、何とか無事にお参りを済ませて戻ってきた姉に、母は「ウシーミーの日以外にお墓参りをするのはイヤだ。これからはこういうことがないようにしたい」と何度も何度も繰り返していたという。戦中と敗戦直後は仕方ないけれど、母は長年続いてきた実家の習慣を自ら破ったことで、心を痛めていたのだろう。
去年のことは今日の午後姉から初めて聞いたのだが、清明の日にお墓参りをするという母のこだわりを知っていたので、私はその遺志を継いで今日の午前中、母の実家のお墓参りをしてきた。小さい頃から何度も来たことのあるお墓だが、1人で来るのは初めてだった。手向けた線香が燃え尽きるまでに聞こえてきたのは、木々を揺らす風の音と近くのお墓を掃除する音だけで、あれこれと指示を出す母の声は聞こえなかった。
「悲しみを新たにする」という表現は陳腐で大嫌いだが、なるほど悲しみは新たになるものだなと実感した。
Posted by 百紫苑(hakushon) at 22:17│Comments(0)
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