2006年03月25日

どうも気になる知花花織

 「大沖縄展−琉球王朝の染と織の文化」と題された展示会が3月21日から26日まで東京銀座画廊で開かれている。3月22日の琉球新報夕刊によると「会場には読谷山、首里、南風原、与那国の花織をはじめ琉球紅型、久米島紬、宮古・八重山上布など県内各地の13人の作家による500点余の作品が並んでいる」そうだ。

 知花花織は展示されていないのだろうか。

 以前、知花花織に関する記事を書いた時、実際に織られている方から「私達は自然染料にこだわり、どんなに小さなコースターでも全て手染めの商品を作っています。特に藍染めの商品は何度も染め重ねて紺地を出すため、糸を染めるだけでも何ヶ月もかかってしまいます。それでも本当によいものを出していくために、誇りを持って取り組んでいます」とのコメントを頂いた。私はこの方が自らの生み出す花織を「商品」と言って「作品」と呼ばないところに心を打たれた。この方に芸術家気取りはなく、ただ知花花織を愛され、そして1人でも多くの人に愛してほしいと願っていらっしゃるに違いないと感じたからだ。

 私は目の前にずらり花織を並べられても、どれが知花か読谷山か、はたまた与那国か南風原か区別のつかない素人だが、興味はあるので読谷村立美術館で読谷山花織に関する展示がある時は見に行くようにしている。そして、読谷山花織はほぼ全てが「作品」で、反物に作品名がついているが、そのほとんどは思い出すと噴き出したくなるような気取ったものだから、織り手の多くは織ることだけに満足されていて、ご自分の「作品」に鋏が入ることなど想像されたくないだろうと察している。

 紡がれた糸は染められ、染められた糸は織られて布になる。布は裁縫され、着物に仕立てられる。しかし、その着物に誰も袖を通さなければ、糸の1本1本全てに命は吹き込まれない。人と共に動いて汗を吸う。風に吹かれて埃まみれになる。雨に打たれて重くなる。仕立てられた着物は、このような過程を経て徐々に完成して行くものだと私は考えている。中でも花織は晴着用だから、人々と喜びを共にせず、ましてや反物のままなら死んだも同然だ。これは苦労に苦労を重ねて読谷山花織の技法を復元された与那嶺貞さんの本望ではないだろう。与那嶺さんが織られたものに気取った作品名がつけられているのを見たことがないからそう思う。

 私は知花花織に直接携わっている方へのコメント返しに「貸衣裳屋、写真館、美容院などに協力してもらい、『成人式や卒業式には知花花織を着よう』とお客さんに勧めてもらってはいかがでしょうか。手に取り、体に合わせてみれば、ご先祖から受け継いだ血が騒ぎ、和服よりも知花花織の方が自分には似合うと気づく人は多いと思います」と提案した。ハレの日に知花花織を身にまとって街を歩く人が増えれば、知花花織に対する誇りは関係者だけのものではなく、地元の人全てが共有できるものになる。この誇りを一部のものにしておくのは勿体ない。

 話は「大沖縄展」に戻る。

 同展に知花花織は出品されなかったのだろうか。出品はされたけど、紙幅の都合で記事からカットされたのか。いやいや「知花」というたった2文字をカットするわけはないだろう。ならば、展示されなかった理由は何か。「13人の作家による500点余の作品」が展示されているそうだから、平均して1人当たり約38点になる。オファーはあったけれど、こだわり過ぎて、数を織ることができなかったのか。それとも知名度の問題で、読谷山花織なら与那嶺貞さん、紅型なら玉那覇有公さん、芭蕉布なら平良敏子さん、久米島紬なら桃原禎子さんといった有名人がいないからなのか。いやいや、主催者ならその辺の事情には明るいだろう。ならば、主催の無知によるものなのか。

 どうも気になって仕方がない。3月10日から12日までプラザハウスで知花花織が展示されていた「沖縄市工芸フェア」を見に行けばよかった。実はまだ知花花織をこの目で見たことがない。

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Posted by 百紫苑(hakushon) at 10:02│Comments(0)独言
 
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