2006年03月23日

父は殿様

 私は母の死後、ほぼ毎日実家に出向き、様々なややこしい手続の準備をしたり、父と一緒に役所などへ行っている。経済と外交を一手に握っていた母が急死した上に父が殿様なので、ふた月半経っても実家のお金の流れがどうなっているのか、その全貌を未だに把握できない。
 父がどれくらい殿様かというと、まず母が亡くなるまで一度も銀行に行ったことがなかった。「昔は給料が現金支給だったから、銀行に行く必要はなかったんだよ」と言う父が初めて銀行に行ったのは、兄と私に連れられて母への御香典を預けた時だが、その時もベンチに座ったっまま珍しそうに銀行中を見回すだけで、窓口の行員と直接話すことさえなかった。
 キョロキョロしていた父はしばらくすると一点を見つめ、私に尋ねた。「あれがお金を引出す機械か」「えぇ」「何と言うんだ」「ATMです」「エーティーエムか、ふむ………何の略だ」「えーっと、多分Automated Teller Machineだと思います」「ふむ………テラー…テラー………出納係のことか」「そうです」「ということは、あの機械でお金を預けることもできるのか」「はい。振込もできます」「ほっほぉ〜。どれどれ」と父は両手を置いた杖に全体重を乗せて「よっこらしょ」と立上がった。
 私も慌てて立上がった。銀行内で落着かずにキョロキョロしているだけでも充分挙動不審なのに、見ず知らずの人の後に立ってお金の出入れを見学されてはたまらない。しかも、父なら操作画面を覗き込みかねない。
 「あ、あ、あ、怪しまれますよ」「怪しまれてもいいじゃないか」「いえいえ、怪しまれるだけならいいですけど、警備員や警官に拘束されるかも知れません」「こんなヨボヨボを捕まえる訳がないだろう」「でも、兄ちゃんと私もグルと思われるかも知れません」「…ふむ、そうか…そうだな。じゃ、ATMは今度にしよう」。
 あれから10週間経つが、父のATM見学はまだ実現していない。生活費は姉または私が銀行で下ろして父に渡し、支払うべきものがちゃんと引落とされているかどうかは私がチェックしている。生前の母がそうしていたように。

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Posted by 百紫苑(hakushon) at 18:44│Comments(0)独言
 
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