2006年03月20日
中国飯店
おととい泡瀬で開かれたアメリカから一時帰郷している友人の歓迎会へ向かう途中、県道81号線を渡口交差点方向へ車を走らせていたら、中国飯店が中華食堂パンダに変わっているのに気づいた。駐車場には「3月17日オープン」と書かれた横断幕が掲げられていた。
父は中華料理が大好きだが、中でも中国飯店は特にお気に入りの店の1つだった。兄夫婦が初めて子供を連れて沖縄に来た時も、家族で中国飯店に行った。椅子の上ですやすや眠っていた姪っ子も4月からは高校2年生だ。それ以外にも何かにつけては中国飯店を利用した。
何よりも中国飯店は母が最後の晩餐を取った店で、遺された我々家族にとっては特に思い入れが強かったから、パンダに変わってしまったのは残念でならない。しかし、もしかしたら名前が変わっただけで、スタッフは厨房もホールも変わっていないのではないかと一縷の望みをつないでいる。何故かというと、「中国飯店」といい「パンダ」といい、ベタなネーミングセンスが共通しているからだ。
近々、父を中華食堂パンダに誘ってみようと企んでいる。味が変わっていれば、中国飯店はやっぱりなくなってしまったんだなと落ち込む恐れはあるけれど、建物は変わっていないので、確かに母とここで食事を共にしたという追憶はできるだろう。
父は中華料理が大好きだが、中でも中国飯店は特にお気に入りの店の1つだった。兄夫婦が初めて子供を連れて沖縄に来た時も、家族で中国飯店に行った。椅子の上ですやすや眠っていた姪っ子も4月からは高校2年生だ。それ以外にも何かにつけては中国飯店を利用した。
何よりも中国飯店は母が最後の晩餐を取った店で、遺された我々家族にとっては特に思い入れが強かったから、パンダに変わってしまったのは残念でならない。しかし、もしかしたら名前が変わっただけで、スタッフは厨房もホールも変わっていないのではないかと一縷の望みをつないでいる。何故かというと、「中国飯店」といい「パンダ」といい、ベタなネーミングセンスが共通しているからだ。
近々、父を中華食堂パンダに誘ってみようと企んでいる。味が変わっていれば、中国飯店はやっぱりなくなってしまったんだなと落ち込む恐れはあるけれど、建物は変わっていないので、確かに母とここで食事を共にしたという追憶はできるだろう。
Posted by 百紫苑(hakushon) at 18:34│Comments(0)
│独言