2006年03月10日

東京大空襲;1945年3月10日

 1945年3月12日、旧制高校の卒業式を間近に控えた父は同級生に誘われて、水戸から日立製作所の亀戸工場まで出かけたことがあるそうだ。その工場に勤めていた同級生の友人の安否を確認するためだったらしい。東京大空襲は深夜の惨事だが、その当時の工場は24時間稼働していたのだろうか。とにかく、父を誘った方は友人の勤め先の周辺が空襲に遭ったと聞いて、居ても立ってもいられなかったのだろう。
 父の話は「言問橋の近くも通った…結局、目当ての人はその日見つからなかった。戦後もずっと見つからなかったらしい」で終わり、当日見た酸鼻を極めたであろう東京の惨状については何も語らない。思い出したくないのだろう。
 「東京大空襲の直後でも鉄道は動いていたんですね」「うん、まぁ、そうだな」「箱根辺りからは東京の空が赤く見えたそうですけど、水戸からは見えなかったんですか」「うん、水戸からは見えないな」「空襲のニュースは新聞で読んだんですか」「多分、そうだったろうな」。私が何を訊いても、父は上の空だった。

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Posted by 百紫苑(hakushon) at 19:37│Comments(0)独言
 
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