2006年03月08日
NHK沖縄放送局
NHK沖縄放送局は今週からおろもまちに完成した新しい会館での放送を開始した。ローカルニュースの冒頭に「おもろまちに完成した新しい放送会館からニュースをお伝えします」といちいち付け加えるほどのはしゃぎぶりだ。単なる自慢なのか、それとも新放送会館に視聴者をおびき寄せて何か利を得ようとしているのかは知らないが、とにかくしばらくは近寄らないようにしよう。と、いつも通り曲がったへそを更に曲げて昼のローカルニュースを見ていたら、一緒に見ていた父が次のような話をした。
1942年3月19日、日本放送協会沖縄放送局が本放送を開始した時、沖縄県内各校の代表者が1人ずつ呼ばれて、記念番組に出演したという。父は一中の代表として学校に指名されたが、「イヤだったから、出なかった」そうだ。何故イヤだったのか訊くと「どうしてだろうなぁ。照れくさかったのかなぁ」と呟き、不意に涙を浮かべたので、慌ててしまった。
開局記念番組に出演しなかった父がその放送を自宅で聴いていると、一高女代表として小学校の同級生の声が流れてきたことを思い出したらしい。その方は小学校時代、国語の成績が優秀で、特に作文のうまさは抜群だったそうだ。「沖縄戦で亡くなってね…」と父は絶句した。
父はここ2、3年かなり涙もろくなってきたが、母の死後それが顕著になった。思い出話をする時、それが特に悲しい話でもないのに涙を浮かべることが多くなり、それを隠そうともしない。絶句する父にかける言葉が見つからなかった。
1942年3月19日、日本放送協会沖縄放送局が本放送を開始した時、沖縄県内各校の代表者が1人ずつ呼ばれて、記念番組に出演したという。父は一中の代表として学校に指名されたが、「イヤだったから、出なかった」そうだ。何故イヤだったのか訊くと「どうしてだろうなぁ。照れくさかったのかなぁ」と呟き、不意に涙を浮かべたので、慌ててしまった。
開局記念番組に出演しなかった父がその放送を自宅で聴いていると、一高女代表として小学校の同級生の声が流れてきたことを思い出したらしい。その方は小学校時代、国語の成績が優秀で、特に作文のうまさは抜群だったそうだ。「沖縄戦で亡くなってね…」と父は絶句した。
父はここ2、3年かなり涙もろくなってきたが、母の死後それが顕著になった。思い出話をする時、それが特に悲しい話でもないのに涙を浮かべることが多くなり、それを隠そうともしない。絶句する父にかける言葉が見つからなかった。
Posted by 百紫苑(hakushon) at 16:43│Comments(0)
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