2005年11月24日

島田裕二とアレクサンダー大塚

須藤元気が渡嘉敷島で合宿を行ったという記事を読んで、4年前にとまりん内座間味行き切符売場前で島田裕二とアレクサンダー大塚を目撃したことをすぐに思い出した。あの頃まだ「格闘探偵団バトラーツ」は活動していたのだろうかとインターネットで検索したら、バトラーツ最後の興行が2001年10月26日に宜野湾市総合公園野外劇場で開催されたことがわかった。そうだ、私が2人を目撃したのは、まさにその翌日だったのだ。

2001年10月27日の08:00過ぎ。切符を買い求める列から少し離れて立っているスキンヘッドの大男は、否応なしに目立っていた。しかし、アレクサンダー大塚は当時PRIDEに参戦していたにも拘わらず、まだ地上波で放送される前だったので、彼にサインを求めたり、声をかけたりする人はいなかった。私はあの日、仕事でとまりんにいたのだが、それをほっぽりだして半年前に買ったばかりのデジカメをむんずとつかみ「アレクさん、写真撮ってよかですか?」と詰め寄りたい衝動を抑えるのに必死だった。中には私のように「あ、アレクだ!」と気づいた人がいたかも知れないが、いかにも興行関係者然とした強面の男性2人と一緒だったので、声をかけづらかったというのも事実だ。

アレクサンダー大塚は強面男性の1人から時々左肩をポンポンと叩かれていた。きっと笑っていいのかどうか判断しかねるオヤヂギャグに悩まされているのだろう、少し困ったような表情を浮かべて、切符売場の窓口へと続く列をチラッチラッと見た。その視線の先をたどると………な、何と!!手を伸ばせばその肩に手が届くほどの至近距離に島田裕二がいるじゃ、あ〜りませんか!前田日明率いる「リングス」で数々の名勝負を裁いたレフェリー・島田裕二!ヴォルク・ハンやアンドレイ・コピロフと同じマットに立った島田裕二!それは肛門括約筋が緩みそうなくらいの衝撃だった。

島田裕二は口をあんぐり開けたまま固まっている私を一瞥した後、クィーンざまみの往復乗船券を受け取り、窓口に「じゃ、どうもっ」と軽いノリで挨拶した。そして私が仕事で目を離している間に、アレクサンダー大塚と共にとまりん内から姿を消した。泊港北岸に行けば、きっとまたあの2人に会える。しかし、私はクィーンざまみと同時刻発のぶるーすかいで久米島に渡らなければならない。それにまだとまりん内での仕事が残っている………仕事が片づいたのは08:40だった。それから北岸へ行って、2人の写真を撮って、またぶるーすかいの出る南岸まで戻ってくるのは、ほぼ不可能だ。私は後ろ髪を引かれる思いで船上の人となった。

ぶるーすかいに乗り込んですぐ、いつもPRIDEのビデオを貸してくれるKに電話で島田裕二目撃情報を伝えたが「誰それ?」と言われてしまったので、アレクサンダー大塚が一緒だったと付け加えた。そこで初めてKは興奮した。「写真は撮れなかったけど、泊港北岸で張り込んでおけば、確実にあの2人に会えるぜ」と私が言うと「本島に戻ってくるのは、いつ?」と訊かれて答えに窮した。乗船券の日付まではチェックできなかったな………。

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Posted by 百紫苑(hakushon) at 16:13│Comments(0)独言
 
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