2005年09月14日

愛猫チャンイ;チャンイ、ありがと〜

結婚後しばらくして妻が「猫を飼いたい」と言い出した。義父母が動物嫌いのため、妻はペットを飼ったことがなかった。妻が小学生の頃「猫を飼いたい」と言ったら、義父母から「ペットなんて飼ったら旅行に行けなくなる。それともお前独りだけ残って面倒を見るか?」と反対されたそうだ。その頃妻の実家では毎年夏休みに家族旅行をしていたので、妻は自分のせいでそれが中止になるのは厭だったし、何より独りで沖縄に残されることを想うと猫を飼うのは諦めざるを得なかったという。

このような話を聞いていたにも拘わらず、私も妻に「狭いアパートで飼うのは可哀想」「猫のオシッコは臭い」「爪とぎで畳や壁紙がボロボロになる」「あちこち飛び乗って暴れるから、テーブルや流しの上がグチャグチャになる」等々、考え得る限りの理由を並べて反対した。わざと「犬だったら飼ってもいい」と言ったりもした。チャンイを姉からもらうことになった当日でさえギリギリまで反対していたのだ。

でもペットを飼いたくなかった本当の理由は、ペットが先に死ぬのが厭だったからだ。

1975年1月18日の朝、飼っていた猫の死顔を見たことがある。猫の名前はビッチという。あぁ、無知というのは恐ろしい。ビッチだなんて…しかも雄なのに…。それはともかく、あの日は起きてすぐ挨拶しようと台所とリビングの境目で寝ているはずのビッチの所へ行ったが、寝床ごと姿を消していた。母にビッチはどうしたのかと訊くと「朝起きてきたら死んでいたのよ」と言って、バスタオルをかけられ、台所の奥へ移されたビッチの寝床を指差した。母にビッチの遺体を見るなと言われたのに、隙をついてその上にかけられたバスタオルをめくると、ビッチは体を曲げ、左前脚をピンと伸ばしていた。そして瞬膜で1/4ほど覆われた左眼と口が開いたままだった。

見なければよかったと思った。体が震え、涙が溢れ出た。私の後に起きてきた妹と弟もビッチがいつもの場所にいないのに気づき騒いだが「ビッチは昨日の夜死んで、もう埋めた」と嘘をつき、遺体が安置されている場所に近づけないようにした。

あれから私は時々フラッシュバックしてくるビッチの死顔に30年余り苦しめられてきた。妻が猫を飼いたいと言い出した時やチャンイが痙攣発作を起こした時はもちろんだが、猫のことなど全く考えていない時にでも突然ビッチの死顔が脳裡に浮かび、その都度体が震えて涙がこみ上げてきた。これが原因で交通事故を起こしそうになったこともある。独りの時は声を上げて泣いた。死にたくないと言っているかのようにピンと伸ばされた脚、恨みが籠もっているような眼、そして苦しげに開かれた口…ビッチは苦しみながら死んだのだ。そう思い込んでいた。

チャンイが最後の痙攣発作を起こした時、いつものように左手で胸を抱えて頭を床や壁にぶつけるのを防ぎ、右後脚で左後脚を蹴って傷つけるのを防ぐため右手でカバーしながら「頑張れ〜、もうすぐおさまるぞ〜」と声をかけた。痙攣する力は弱く、唸り声も出さなかったが、チャンイは耳をこれ以上は倒れない所まで後に倒し、両眼をカッと開き、口をパクパクさせながらもがき苦しんだ。

チャンイの強ばった体から力が抜けた時、右眼はうっすらと開いていたが、口は閉じていた。チャンイを下ろして右まぶたをこすり眼を閉じさせてから、30分ほど前に寝た妻を起こしに行った。チャンイの所へ戻るとまた右眼がうっすらと開いていたので、今度は妻がまぶたをこすって眼を閉じさせた。それから妻がチャンイを抱き上げて泣いた。2人でチャンイを撫でながら「よく頑張ったなー」と誉め「もう苦しまなくていいんだよー」と慰めた。

妻がチャンイを私に手渡そうとした時、既に死後硬直が始まっていた。妻が抱いていた時間は15分か、長くても20分くらいだったと思う。チャンイを受け取ってすぐに口が開いているのに気づいたので、寝床に戻し「口が開いたまんまだとアホ面に見えるぞ〜」と顎を押さえて口を閉じさせようとしたが、無駄だった。死後硬直が進むにつれ、口は徐々に開いていった。

この時ビッチの死顔を思い浮かべた。目の前に横たわるチャンイとほぼ同じ角度で口が開いている。そうか、ビッチも死後硬直で口が開いたんだ。ビッチも病気にかかって死んだが、チャンイのように痙攣発作は起こさなかった。ビッチが死ぬ前の晩、寝る前に頭を撫でたら顔を上げて「ニャン」と短く鳴いた。ビッチが動いたのを見るのも、声を聞くのも久し振りだった。ビッチはその3、4日前から餌を食べなくなり、寝床でグッタリしていたからだ。嬉しくなって撫で続けていると、ビッチは伸ばした左前脚にゆっくりと顎を乗せて眼をつぶった。「おやすみ。また明日な」とビッチに声をかけて、私も寝た。

開いたままの左眼は気になるが、ビッチはきっと私が最後に見た時の姿勢をほぼ崩さず、眠るように死んでいったのだろう。少なくとも、チャンイのようにもがき苦しみながら最期を迎えたわけではない。チャンイの死顔を見つめながら、そう確信した。

もうビッチを思い出しても体が震えることはない。それどころかビッチが死ぬ前の晩の情景を細かく思い出すことができた。そしてビッチと過ごした楽しい日々も急速に甦ってきている。

私はチャンイに救われた。

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Posted by 百紫苑(hakushon) at 21:28│Comments(0)チャンイ
 
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